お晩です。
早速なのですが
明日はこの秋の立ち上げのロケ撮りのためお休み頂きます。
西川です。
しっかりかっちょいいSTYLINGを撮ってきますのでお楽しみに!!
久々のロケ撮りということでワクワクしてますが雨だけ降らんといて欲しいな。
予報は雨やけど。
さてそんな本日。
本日の紹介はこちら
60’s adidas
adidasを紹介するにあたり避けれないのが壮絶な兄弟喧嘩(PUMA)との確執。
アウラハ川ってのを挟んで対立した事により周辺の町を巻き込んだ兄弟喧嘩に発展したみたいで
当時、登校する為のバスも派閥で別れる、誰もが足元をチェックするという…という始末。
やがて両者があった町、ヘルツォーゲンアウラハはStadt des gesenkten Blicks(足元ばかり見ている人達の街)なんて呼ばれるようになったとか。
で、創始者同氏(兄弟)がなくなった後に両者の息子が
1970年に協定(ペレ協定)を結ぶのですがプーマが速攻、協定を反故にしたことで兄弟喧嘩第二弾が開幕されたとされてます。
ちなみに晩年ですがオニツカタイガー(現アシックス)の創業者の鬼塚喜八郎さんが仲裁に入り
実は両者とも仲直りしてます。
まぁお互い買収されてもう創業者のダスラー家との繋がりは無くなってますが・・・。
で商品説明に戻ると
色味は定番の青に白の3ライン
ただ、レジスターマークの入る前の恐らく60’s初期のものかと
アディダスの創始者アドルフ・ダスラーが西ドイツ出身であり
この時代のものは西ドイツか隣国のオーストリア製がほとんどなのかな。
厳密にフランス製の物も稀に60年代のものもありますがタグが青い(VENTEX社製)の物なんでわかりやすいって事と
基本フランス製のもんは70年代って把握で良いかなって認識です。
ジッパーは「PRESTIL」ピンロック。
PRESTILって見慣れんジッパーですが古いadidasなんかではたまに見かけるジッパーかなと。
フランスのファスナーメーカーで、1960年代後期~1980年代のモデルにPRESTILのジッパーが使用されます。
1960年代後期~1970年代までのモデルに使用されるジッパーには、スライダーに”PRESTIL”と刻印されるので一つの見分けでの指標にはなるかなって感じです。
70年以降はたまに見かけるジップに『P』だけ刻印されてる物もこの会社のやつになります。
プリントはカスレてますがそれ以外に目立った劣化はなくパキパキの状態となっております。
僕もジャージ好きで結構持ってますがここまで状態が良いのも久々に見ました。
これからクタクタに着倒していって欲しいなと思います。
お好きな方是非!!
さて冒頭でも触れましたが
明日はロケ撮りのためお休みを頂きます。
ご迷惑おかけしますがまた明けの金曜日
週末追加しながら元気に22時までお待ちしております!!
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